日々の新聞

568号
2026年10月31日

 十六橋水門を見つめるように建つファン・ドールンの銅像。
台座から外す時に右足先が壊れ、セメントで固めてある。

    安積疏水の恩人
    ファン・ドールンを忘れない

  福島県立博物館で開かれている企画展「安積疏水の挑戦――郡山の未来を拓いた水路」(12月6日まで)の取材の帰り道、学芸員の栗原祐斗さんに教えてもらった十六橋水門に向かった。国道49号を猪苗代に向かって車を走らせ、銀の橋の手前の左に入る道を通り越してしまったので、金の橋を渡ってすぐに左に入って進み、たどり着いた。
 猪苗代と会津若松の境にある日橋川に造られた水門で、1879年(明治12)に安積疏水の開削工事が始められた場所でもある。弘法大師がこの地を訪れ、十六の塚を築いて橋を架けたという逸話から、その名がついたと言われている。1786年(天明6)、会津藩は流されやすい木造の丸太橋を頑丈な総石造りの橋に掛け替えた。84年後、戊辰戦争の際には新政府軍の進軍を阻むために撤去を試みたが堅牢で、進軍を止めることができなかったという。
 安積疏水の工事でその橋は取り壊され、安積(郡山の阿武隈川より西側の地域)の原野に水を引いても、猪苗代湖からの流出量を調整して水位を適切に維持できるよう、近代的な十六の水門を持つめがね橋の十六橋水門が建設された。猪苗代湖の水はもともと会津藩が日橋川を通じて利用していたので、会津に流れる湖水の量が少なくならないように川底を掘り下げる工事もしている。

 人々の間では江戸時代から、猪苗代湖の水を安積の原野に引きたいという夢が語られていた。しかし技術的なことや藩の境界などの問題で実現できずにいた。それを可能にしたのは、明治政府に招かれたオランダ人技師のファン・ドールンだった。
 ドールンは1878年(明治11)に現地を訪れ、湖水の水位や河川の堰を調査し、さらに安積の土地の浸透性や気候条件での蒸発量まで考慮して、農地に必要な水量を計算するとともに、湖水の流出量や水路、隧道の形状などを最新の計算式を駆使して設計。そこには会津の人々の既得権益を守るという前提があった。1882年(明治15)、約130㎞の安積疏水が完成した。
 それから半世紀ほど経った1931年(昭和6)、猪苗代水力電気の創設者の千石貢さんの提案で、ドールンの銅像が十六橋水門のそばに建てられた。戦時中、軍部による金属回収が行われ、当時の安積疏水普通組合常任委員だった渡辺信任さんは「安積疏水の恩人を戦場には送れない」と、ドールンの銅像を台座からはずして山に埋めて隠した。度重なる憲兵の追及にも「知らぬ存ぜぬ」で通し、戦後、掘り起こし台座に戻した。
 
 安積疏水だけでなく利根川や淀川、信濃川の改修工事、また野蒜港や函館港などの港湾建設にも携わり、日本に科学的手法を取り入れた近代土木をもたらしたドールン。1880年に帰国し、1906年、アムステルダムで69歳で亡くなった。墓はその後、無縁仏として撤去され、それを知った郡山市民たちが墓碑再建委員会をつくり、1978年、市民からの寄付で磐梯山の形をした墓碑が同じ墓地に再建された。
 安積疏水が造られて144年。改修を重ねながら、いまも使われている。ドールンへの恩は忘れずに引き継がれている。

 特集 郡山を知る 安積疏水と開拓

     


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10部以上は送料が無料になります。     
 

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日々の新聞社に電話またはメール、FAXで「たねまくカレンダー購入希望」と明記し住所と電話番号、購入部数をお知らせください。確認次第、郵便振込み用紙を同封し、お送りいたします。
※なお、振込手数料は購入者が別途負担となりますのでご了承ください。

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