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下坂が心血を注いで作ったコーヒー豆 日本へは最上等のものが輸入されている

出会い

 関根と真田がお互いを認識したのは、高校1年の春。野球部の部編成で円陣を組んだときだった。勿来二中出身の関根と、錦中出身で、一年浪人の末磐城高校に入った真田。二人は同じ電車で通 っていた関係で面識はあった。何気なく目を合わせたその瞬間から、二人は同じ道を静かに歩み始めたのだった。

下坂の願い

 関根が「ブラウンチップ」で扱っているブラジル産のコーヒー豆「カルモシモサカ」は、いわき市好間出身の下坂匡が精魂込めてつくりあげた。磐城農業高校卒業後、両親と兄姉5人の計7人でブラジルへ渡った下坂は、「農地には絶対無理」と言われたセラードと呼ばれる痩せた荒れ地を開墾。20年の歳月をかけて質のいいコーヒー豆が採れる農園にした。酸性土壌に石灰を入れ、中和させる。それは気の遠くなるような作業だったが、今ではブラジル1のコーヒ−産地になった。その農園の広さは約1500ヘクタール。さらに肥料として鶏糞を使うための養鶏場やニワトリの餌を確保するためのトウモロコシ畑をつくるほど。だから豆の品質は折り紙付きで、評判がぐんぐん上がった。
 ブラジルのコーヒーは輸出されるとすべて「ブラジルサントス」と呼ばれる。下坂はそれが不満だった。ブラジルは広いし、地区によっては気候が違う。その関係で豆の出来不出来が激しい。なのに一律に扱われるのは納得がいかない―。それほど、自分の豆に自信を持っていた。

合流

 関根は大学生の時、2カ月にわたって下坂の農場を訪れた。それがきっかけで東京の荻窪でお茶屋を経営している繁田武之を紹介され、意気投合。「カルモシモサカ」の日本総輸入元として繁田と一緒に東京で商売を始めることになる。そして、その3年後に真田が合流したのだった。
 真田は大学卒業後、金融機関に就職し、須賀川で働いていた。2年を過ぎたころ突然「辞める」と言い出し、関根を頼って東京に舞い戻ってきた。はじめのうちは「とりあえず次の仕事が見つかるまで」という軽い気持ちだったが、関根には「いわきに店を出す」という目標があった。
 それまで孤軍奮闘のかたちだった関根にとって、真田はこれ以上ない同志であり、援軍といえた。

炒って売る

 関根は、「カルモシモサカ」がいかに質のいい豆かを知ってもらうにはどうしたらいいのか、を考えていた。そして「ポイントは鮮度」だと気がついた。どんなにうまい豆でも炒ってしまうと、時とともに酸化が進みまずくなる。炒りたて挽きたてを提供するようにすれば、マイルドな味を持つ「カルモシモサカ」のうまさがさらに際立つはずだ、そう思った。
 焙煎機をオーダーメイドし、注文を受けてから炒って挽くコーヒー豆販売店が誕生した。そして東京の店がある程度軌道に乗ったころ、下坂がいわきを訪れることになった。「チャンスだ。ここを逃がす手はない」と思った。二人はいわきに戻って、平上荒川の福島高専近くにブラウンチップ平店をオープンさせた。平成4年5月12日のことだ。

 しかし、はじめのうちは2人分の給料が出なかった。主に関根は東京といわきを往復し、真田が留守を守った。無口な真田は心を込めてコーヒー豆を焙煎し、金融機関で働いた経験を生かして経理を見た。さらに8年後に錦店をオープンさせ、二人の事業は着実な歩みを見せはじめた。
(この項つづく=敬称略)



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