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1993年10月から5カ月間蔡が住んだ高台の家(左) 庭ではスタッフによって菊の栽培が行われた


 この土地で作品を育てる/ここから宇宙人と対話する/ここの人々と一緒に時代の物語をつくる―。
 これが蔡が提示した「いわき地平線プロジェクト」のコンセプトであることはすでに書いた。蔡はそれを実現するために、「いわきに住みたい」と言い始めた。蔡の条件は、海が一望でき、庭で菊の花が育てられること。志賀忠重は「そんな都合のいい場所が一時的に借りられるんだろうか」と思いながら四倉海岸一帯を探したが、やはり条件にかなう家は見つからなかった。
 あきらめかけていると、知人から「よさそうな一軒家がある」という情報が入った。すぐ持ち主を教えてもらい、趣旨を説明するとOKだという。しかも、菊が四倉の白岩地区の特産であることもわかった。「こりゃさい先がいいぞ」。志賀は心の中でつぶやいた。  なぜ菊なのか。菊は漢方の処方で目と精神の安定にいいという。蔡は、いわきで育てた菊を茶にたてて、自分たちで焼いた茶器で美術館でふるまい、ゆったりとした気持ちで自分の作品を見てもらいたいと思った。自分がいわきに身を置き、いわきの人々と、いわきのものを素材に、いわきで作品をつくり育てる。それが蔡のやり方だった。

海の見える家

 その家からは太平洋がよく見えた。蔡は、その家に1993(平成5)年の10月から翌1994年の2月まで5カ月間滞在し、プロジェクトの準備や作品制作を行った。その最初の作業が菊の苗を植える作業だった。1993年の春、作業が行われた。すでに家は確保されていたが、そのころ蔡は忙しく、なかなかいわきに来ることができなかった。ある日、スタッフにファクスが入った。「あの庭に菊を植えて欲しい」と書かれてある。早速、地元の菊栽培農家から苗を分けてもらい、仲間たちで植えることにした。まず、土をならし、秋の収穫を願って菊苗をていねいに植えた。
 いわき市立美術館の平野明彦は、プロジェクトの初期段階からかかわった中の一人だ。最初の菊づくりから参加し、スタッフの一員として、蔡がイメージしたものを実現するプロセスを傍らで静かに見ていた。そして、書いている。
 「蔡のプロジェクトは単なるイベントではない。プロジェクトとは生き物である。それはプロジェクトに関わる様々な人々の時間意識を糧として成長を続ける。結果 的に満足な資金がないままに出発した地平線プロジェクトに参加した人々は、蔡の語る言葉に耳を傾け、彼の作業を見詰め、そしてそれぞれが持てる技術や能力を惜しみなく駆使して蔡のヴィジョンの実現をめざしていく。一人の人間の想像力を媒介として、ひとつの物語を作り上げ、そしてそれを共有する喜び―ここから地平線プロジェクトは始まった」

ホルストの「木星」

 10月、蔡が単身いわきにやってきた。いよいよ作品にする素材探しである。志賀は、朝起きると自分の会社とは別 方向の、蔡のアトリエに向かった。蔡のアトリエは高台にあった。家の前まで車が入れないので、志賀は下に車を付け、蔡が下りてくるのを、待つ。
 蔡は、滑りそうになりながら坂を下り、志賀の車に乗り込んだ。あいさつ回り、作品にする廃船を探すこと…。やることは山ほどあった。そして、志賀の車の中には、いつも同じ曲が流れていた。ホルストの「木星」。蔡の耳の奥には、今も耳の奥で響いている。それは「壮大なる旅の寂しさの勇気を持ち、現代美術と無縁なみんなと一緒に未知の世界を探検したような」そんな気分なのだという。
(この項つづく=敬称略)




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