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1993年に中国大陸の砂漠で行われた「万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト」


 1993年(平成5年)2月27日、蔡國強は「万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト」を行った。万里の長城の終点・嘉峪関を起点とし砂漠の上に1万メートルにわたって導火線を敷設し、夕方に600キロの火薬を100秒間爆発させるというプロジェクト。蔡は1989年(平成元年)から、「外星人のためのプロジェクト」と名づけて、宇宙と対話する、というコンセプトで創作活動を続けており、地球上の人間が造った建造物の中で唯一月から見えると言われる万里の長城は、格好のモチーフといえた。
 蔡は書いている。
 「爆発の一瞬、時空が混沌化する。宇宙が近くに来る。(中略)宇宙への帰還、同胞を探す試みは、人類の永遠の宿命的課題なのだ」

アイディア


 この時期、蔡は火薬によるさまざまな表現方法で、いわゆるET(外星人)との対話を試みるための大規模なプロジェクトを精力的に行っていた。そんな中で、藤田忠平と志賀忠重が万里の長城延長プロジェクトに参加した。いわきで再三にわたって個展を開いているうちに心がうち解け、蔡が誘ったのだった。
 プロジェクトの起点となった嘉峪関は、日本からだと飛行機で2時間、さらにマイクロバスで17時間という行程。志賀は長旅の疲れとあまりの寒さで風邪をひき、高熱でうなされるはめになった。しかし、その帰り道、蔡が志賀たちに言った。「いわきでも何かやりましょう」。地平線プロジェクトが動き始めた、記念すべき瞬間だった。
 余談だが、蔡は刺身が好きなのだという。わさびを食べたときのツンと抜ける感じが、作品をつくり出す感触に似ている、と志賀に話したそうだ。
 蔡の頭の中にはアイディアが渦巻いていた。それを紙にイラスト入りで書いては仲間たちに説明した。紙はたちまちいっぱいになった。市立美術館が蔡の企画に興味を示した。日本に来て初めて、公立美術館での展覧会という道が開けた。やはり、いわきは蔡にとって「革命の根拠地」だった。プロジェクトと展覧会、太平洋と美術館。蔡の頭の中に1つのプランが浮かんだ。「いわきのキーワードは海。それは自分が生まれ育った泉州と同じ。海を使って、仲間たちと一緒に何かをやれないか」。そんなことを思いながら、海に火を走らせる地中線プロジェクトの芽が生まれたのだった。

実行会

 志賀たちは何とか蔡のプロジェクトを成功させてやりたい、と思った。気の合う仲間たちが集まって「実行会」を組織した。「必ず実行する会」だからあえて「実行委員会」にはしなかった。その名称に、みんなの思いと責任が凝縮されていた。最初のうちは募金を募ることも考えたが、まともにやろうとしたら数千万円かかる。到底集めるのは不可能だった。あとは創意と工夫、さらに真心で蔡のプランをかたちにするしかなかった。
 ある日、志賀が蔡に言った。
 「芸術がわかりにくいものでは、一般の人の理解や協力が得られない。より多くの人にわかってもらうには、すっと心に入っていくような理由づけが必要だ」  すると蔡は、一枚の紙を持ってきた。そこには「この土地で作品を育てる ここから宇宙と対話する ここの人々と一緒に時代の物語をつくる」と書いてあった。
 仲間たちは、蔡の発想力と言葉遣いのあざやかさに感動した。ほとんどのメンバーが美術館に行ったことなどない、という人種。そうした人々が、蔡国強という中国人アーティストの想像力を共有し、それをかたちにするために「まかしとけ」と胸を叩いた。その理由は「なんだかおもしろそうだど。やってみっぺ」という単純明快な理由だった。
(この項つづく=敬称略)




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