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CONTENTS
仲間たちの野辺送り
蔡國強といわきの物語
 
日々の新聞
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草野天平の頁
HIBINO IN IWAKI
時のゆくえ
仲間たちの野辺送り
蔡國強といわきの物語
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リンク集
1.プロローグ 2.蔡の生まれた街 3.鷹見との出会い
4.藤田の思い

5.河口龍夫とともに

6.宇宙と対話する
7.始 動 8.廃船探し 9.廃船引き揚げ
10.廃船の解体 11.難 題 12.コンセプト
13.火の龍 14.響き合い 15.九十九の塔
16.苦 悩 17.狂った予定 18.10年後
番外編.スミソニアンへ 番外編.「TRAVELER(旅人)」
番外編.地球を旅する廃船 番外編.ニューヨークにて
番外編.廃船のゆくえ 番外編.さわやかな日
番外編.安住の地  





蔡をめぐるいわきの人々の時代の物語はそれぞれの心の中で10年たった今も続いている


 あの地平線プロジェクトから10年がたった。その時、まず蔡國強がいた。そして藤田忠平がかかわり、志賀忠重が「なんかおもしろそうだね。やっぺやっぺ」と仲間に入り、さらに輪を大きくした。その様子を名和良が、小野一夫が記録した。あらためて、そのビデオや写真を見てみると、すでに鬼籍に入ってしまった人たちの姿が映し出されている。
 廃船引き上げに大きな力を発揮した佐藤進(潜水会社経営)は、「おやすみ」と床に入り、そのまま起きてこなかった。船大工の鈴木愛蔵は、目を輝かせながら、自ら設計し廃船になった船の解体・組み立てと取り組み、それが人生最後の仕事になった。そして、黙々と作業をこなした鈴木延枝は病に倒れ、帰らぬ 人となった。

 当時、ほとんど無名だった中国人アーティスト・蔡は、その後火薬によるさまざまなプロジェクトで世界的に有名なアーティストになった。「爆発というのは一瞬の快楽なんです。バーン、と爆発した瞬間に精神が浄化される。しかも計算が立たずに、メチャクチャになることが多い。それがいいんです」と蔡は言う。
 しかし、蔡の心の奥底には、いわきの人々と一緒に寝食をともにしたあのプロジェクトこそが、いつも心にあった。「ひとりのアーティストには限界がある。さまざまな人たちとかかわることで有限が無限に広がる」。その、蔡のポリシーを一つのかたちとして実現したのが、いわきでのプロジェクトだった。
 蔡のプロジェクトにスポンサーが付き、身辺が忙しくなり始めたころのことだ。蔡は藤田と志賀それぞれに「私のマネジメントメンバーに加わりませんか」と声をかけている。画廊を経営している藤田にとって、それは違和感のない仕事のはずだったが、彼は熟考の末、断った。「自分には、地元のアーティストたちがいる。それを放り出すわけにはいかない」というのが理由だった。
 さらに志賀。「志賀さん、私のマネージャーになりませんか」。そう蔡が言ったとき、志賀はただ笑うだけだった。返事をせず、心の中でつぶやいていた。「それは違いますよ、蔡さん」。志賀にとって、蔡との関係は人間同士のものであり、ビジネスではなかった。ある距離を保ちながら、このおおらかで人間性豊かな青年とつきあいたい、というのが、志賀の気持ちだった。

 蔡が筑波大の研究生だったころ、面倒をみていた河口龍夫は、蔡の今を祝福しながらも心配している一人だ。「さまざまなものを達成し、さらにオーダーが来る。もてはやされ、縛られる。彼がしたい、ということと周りが求めるものとのギャップ。そこにもてはやされる孤独が生まれる。そうした中で自分の芸術活動のスタンスをどこに置くのか…。蔡さんの中にはさまざまな葛藤が渦巻いていると思うんです」。河口は電話の向こうでそう言った。

 いわきでのプロジェクトがなぜできたのか。それは、何にも縛られないシンプルな人間関係があったからだった。金はなくとも思いがあった。そして、いわきの良さを最初に発見したのが蔡だった。蔡は言っている。「いわきって普通のところ。普通のまちが持っているいいところがすべてある。それを住んでいる人がわからないだけ」
 ここの人々と一緒に時代の物語をつくる―そう言って蔡は作業をスタートさせた。そして、かかわったメンバーは思う。「あの熱気があったからこそできた。あれは必然だった」
(敬称略=おわり)
 
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