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昨年再会した蔡(左)と志賀 二人の間には深い信頼がある 右上スケッチはポーランドでの個展のためのもの



 この10年の間に、蔡は世界的に著名な現代美術作家になった。さまざまなイベントで蔡に火薬を使ったプロジェクトの依頼が来る。蔡はイメージをかたちにし、スタッフに伝える。スタッフは、それを実現するために最高の環境を用意する。それは、いわきで実現した地平線プロジェクトとは180度も意味が違うものだった。

 「この土地で作品を育てる/ここから宇宙と対話する/ここの人々と一緒に時代の物語をつくる」―このコンセプトは、「なんかおもしろそうだね」と思った人たちが自分でできることをしてかかわり、みんなで達成感をあじわう、というものだった。みんなで知恵を出し合い、力を合わせて蔡のイメージを具現化した。困難を共有したからこそ、達成感や充実感が大きかった。それは蔡も同じだった。
 しかし、蔡の名前が売れれば売れるほど、プロジェクトは巨大化した。にもかかわらず作業はスムーズに運ぶようになった。蔡の中に、何とも言えない「心の飢え」のようなものが芽生え始めていた。そんなとき、ワルシャワのポーランド現代美術館から個展の依頼があった。打ち合わせのために、ワルシャワへ行くと、蔡のホテルの部屋さえ用意されておらず、美術館の一室に泊まる始末だった。蔡はポーランドという国を思った。たびたび隣国の歴史に翻弄され続けてきた東欧の小国。そして貧しい今の現実。蔡はそれを、同じ社会主義国の母国・中国と重ね合わせ、いわきでのプロジェクトとリンクできないか、と考えた。「過去の運命を見つめながら、次なる運命を開いていく希望の展覧会にしたい」。蔡の胸に、新たな情熱がわき上がってきた。

 たぶん、それは以前のようにフラットで気軽な発想だったのだろう。「今も埋まっている廃船を、いわきからの贈り物としてポーランドに送りたい。私といわきの人々でつくったとその物語を、今一度作品化したい。その作品の精神の象徴として、いわきの船を展示したい」と志賀忠重に持ちかけた。志賀はそれを受け、ちょうど蔡が来市した時に、いわき海星高校裏の船の墓場に案内して船を選んだ。
 志賀は、前と同じように掘り出しの準備に入った。船を砂から掘り出し、切断し、コンテナに入れてポーランドへ送る。作業をボランティアでやるとしても三百万かかることがわかった。「何とかやってやりたい」と志賀は思ったが、問題はその費用をどう捻出するか、だった。しかも、期日が迫っているというのに、蔡からは英文のFAXが届いただけだった。日本に七12時間滞在する、という情報が入り、成田空港あたりで打ち合わせができるかな、と思ったが、忙しくてそれもできないという。志賀の心の中に、何とも言えないもやもやが広がった。

 そんな時、志賀の携帯電話に蔡から電話が入った。1度目は留守電、2回目は直接話すことができた。
 蔡はこう言った。「いわきの人たちの負担や大変さを思い、申し訳ない、という気持ちでいっぱいになってしまったのです。引き上げ、解体、送り出しという作業を共有できないこと自体、後ろめたいですし、自分がいないのに資金を集めなければならない。その苦労を考え、気軽に『お願いします』と言えなくなってしまったんです。「やめる」というならやめられますから、みなさんで検討していただけますか。私の気持ちは志賀さんと同じです。みなさんに補足して伝えてください」。蔡の声は苦悩に満ちていた。

 志賀はメンバーを前に言った。「蔡さんに傲慢さはなかった。その言葉にはさまざまな配慮と感謝があった。どうする」。志賀を除く、6人のメンバーが語り始めた。
(この項つづく=敬称略)




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