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導火線に火がつけられると火は60〜70センチもの火柱を上げ、バリバリという音とともに水面 を走った


 その日はベタ凪だった。「もしきょうもだめだったらどうしよう」と思っていたスタッフは胸をなで下ろした。
 平成6年(1994)の3月7日夕、陸から2・5キロ沖合の太平洋に五キロにわたって火を走らせる「地平線プロジェクト」が行われた。
 前日、台船に導火線などを積み込み準備をし、出港しようとしていたら「待った」がかかった。ぎりぎりまで実施の方向で検討していたが、沖の波が高く、海上保安部が決断を下したのだった。それは夕方近くで、延期をどう知らせるかで混乱した。結局、警察などが協力し、海岸一帯をスピーカーで知らせた。東京から来ていた美術関係者などは日程の都合がつかず、そのまま帰る人も多かった。

 実は、プロジェクト実施まではさまざまな試行錯誤や問題があった。まず、「今回のプロジェクトは人間の身勝手だ。魚をはじめとする生態系を崩す。環境をどう考えているのか」、といった内容の怪文書が各漁協などに送られた。一部では、「こういうことを考える人がいるのは困る。手放しでは賛成できない」という声も出た。しかし最終的には、プロジェクトの趣旨を説明し、海には残骸は残さない、ということで了承を得た。
 そんな時も蔡は冷静で、楽観的だった。困り顔のスタッフを見て「反対者も参加者です。大事にした方がいいですよ」と、つるりとした顔をして言った。
 もう一つ。当初の計画では、「地球の輪郭を描く」というコンセプトから沖合約7キロの地点10キロにわたって、火を走らせる予定だった。しかし、遠すぎて見えないうえに、導火線が三本では、勢いが出なかった。火が消えてしまう恐れも出てきた。予算の関係もあって、導火線を六本にすることにし、距離を半分の五キロにした。あとは、成功を神に祈るだけだった。これが失敗すると、補助金が出なくなる。スタッフや市関係者は気が気ではなかったが、蔡はまたも「失敗はつきものです。それでもいいんです」とにこやかに言うのだった。
 その日は月のでない新月だった。火の光が際立つように、とみんなで考えた。台船が2隻、さらに小さい船数隻で5キロの導火線を張った。蔡と志賀忠重は点火する側の台船に乗り込んでいた。藤田忠平は本部がある陸に陣取り、甘酒などを振る舞い、今か今かと待っていた。陸と海をつないでいたのはトランシーバーだった。
 午後6時38分。すっかり暗くなっていた海岸一帯には5000人ものギャラリーが集まってきていた。「点火!」の声とともに導火線に火がつけられた。すると、火は60〜70センチもの火柱を上げ、バリバリという音とともに水面 を走った。至近距離で見ていた平野明彦によると、それは「あたかも一匹の龍が頭をわずかにもたげ、海上を自在にくねりながら爆走していく姿」のようだったという。その火の龍は、点火した台船から離れるにつれ弱まり、その姿は波間に消えながら遙か彼方に消えていった。
 蔡たちの心配は、「途中で消えないか」という1点に移った。
 一方、陸で見守っていた藤田には、その火がキツネの嫁入りの光のようにしか見えなかった。ぽあぽあといった光がゆっくりと波間を進んでいく。それが時には途切れる。しかしまた、弱い光が見える。それは懐かしい光だった。
 2分後。ゴールの四倉側台船から「火が到着しました。最後まで来ましたよ」との一報がもたらされた。みんなが抱き合って、その成功を喜んだ。感想を聞かれた蔡は「私におおめでとうじゃなくて、いわきの人におめでとうです」と言った。

 「もし火が消えたら、逆側から点火しよう」。志賀はそう決意していた。スタッフのだれもが「途中で火が消える不安」を抱えていた。それだけに、その成功には、参加したものでなければわからない特別 の思いがあった。だから、蔡のひと言に全員が感激した。
 「心が洗われるような蔡さんの言葉だった。みんなの心をつなぐ言葉だった」と志賀が当時を振り返って言った。
(この項つづく=敬称略)




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