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画・松本 令子 
 
 山口 紀美子

 8月15日付の紙面で「手塚治虫と会津」の特集のタイトルを目にした時、どきっとするほど驚いた。会津はわたしが生まれ育った所だったから。漫画家としても人間としても尊敬していた手塚治虫が、会津とかかわりがあったのだと思い、信じられないほどだった。文章の中で会津を3回も訪れていることがわかった時にはさらに驚いた。
 最初の会津行きでは、1週間ほどで背あぶり山、東山温泉、鶴ヶ城。御薬園などの観光地をめぐり、市の中心的商店街である神明通 りも散策している。高校3年間を女子高で過ごしたわたしにとって、それらは懐かしい所ばかりだった。
 手塚治虫がケーブルカーで登った背あぶり山に、女子高1年のわたしたちは徒歩で登った。それが学校の必修課題だった。途中には強清水(こわしみず)があり、そこで飲んだ水のおいしさは忘れられない。
 手塚治虫を尊敬していても、わたしはまだ作品を読んだことがなかったため、市立図書館に足を運んだ。書架にあった『アトムポケット人物館―手塚治虫』が目にとまった。表紙の一部分に「15万枚の原稿で人間愛を訴えつづけた漫画の巨匠」とあった。わたしはこの表現で、手塚治虫の人間性にあらためて思いを馳せた。
 そして、長女の手塚るみ子さんが会津若松歴史資料センターで話された(紙面 掲載)中にあった「私は常に父に甘え、わがままを言っていました」のひとことには、手塚治虫が多忙な中にあっても、子供に優しい父親であったことを強く感じさせられた。
 最後に紙面で印象に残っていることを記すと、それは手塚治虫が家族旅行中にも原稿を仕上げて編集者に渡したことである。このような手塚治虫をこれからも追い続けたい。

(元教員)




 ある会合で、小名浜出身の元朝日新聞記者、新妻義輔さん(西宮在住)に初めてお目にかかりました。チェルノブイリ原発事故のときはモスクワに勤務し、大阪の編集局長時代に記者が他紙の記事を盗用する問題が起こって自ら責任をとって辞めたそうです。何時間話したでしょう。次から次に熱い言葉が出てきました。
 新妻さん曰く、「新聞記者に必要なのは感性を磨くこと。さらに蟻の目と鳥の目、そしてトンボの目(複眼)で見ること。でももう1つ忘れていけないのは見えないものを見る心の目です」。とてもいい時間でした。

(編集人 安竜昌弘)



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