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 名刺には「いわき市立総合磐城共立病院 内科 在宅診療科 リハビリテーション科医師 NPO法人 ぱれっと代表 いわき食介護研究会代表 皆川夏樹」とあった。長野県の佐久総合病院で薫陶を受けた在宅医療。そこには「地域医療の隙間を埋めたい」という思いがあり、患者主導の死に対するこだわりがある。皆川さんを取材した。



 きっかけは医学書院が出している「訪問看護と介護」という雑誌だった。乳がんの講演会で知り合った、元東京新聞記者で医療ジャーナリストの安井禮子さんが「いわきにもこういう医師がいます。取材してみたらいかがですか」と届けてくれた。そこには「自宅で死んでみませんか」というタイトルの連載記事が掲載されていた。計12回。筆者名は「皆川夏樹」とある。訪問診療を通 して出合った死や医療の問題点などについて、熱く綴っていた。
 その文章を読んで、地域の在宅診療と地道に向き合ってきた、勿来の齋藤光三医師のことが頭に浮かんだ。「皆川さんに話を聞きたい」と思い、連絡した。指定の時間は夕方五時だった。皆川さんは忙しそうに病室を回っていた。権威を感じさせない目が優しい医師だった。
 皆川さんの経歴は、とてもユニークだ。父親が銀行員だった関係で、全国をかなり歩いた。生まれたのが山口県の小郡。いわきにもいたことがあり、平二小に入学した。そのほか福島市、東京、島根県の松江などに移り住んだ。高校も入学が松江北高で卒業は都立青山高校、といった具合。大学は京都大学の文学部をめざしたが落ち、札幌の警備会社に就職した。
 しかしどうしても京大に入りたい、という思いが断ち切れずに京都に移り住んでアルバイトをしながら勉強、京大文学部の仏文科に合格した。卒論はロートレ・アモンだった。その後1年のブランクはあったが、当初の計画通 り医学部に入り直して卒業、長野県厚生連佐久総合病院で2年間にわたり在宅医療と向き合った。
 佐久での経験を生かして千葉県の老人保健施設施設長になったが、思いは「国境なき医師団」の一員だった。京大医学部のつてで東北大医学部大学院の国際保健学教室に入ったが、考え方が合わずに飛び出した。市立常磐病院の院長をしていた竹内正也さんと知りあって相談すると、「キリスト教医学会で東南アジアにサイトを持っているから、常磐病院に勤めながら年に2、3カ月は海外で仕事ができる。どうか」と薦められ、常磐病院に来た。
 皆川さんは一応内科医だが、医局による異動をしたことがないので専門を持っていない。だから、肩書きをつけるとすれば「総合医」ということになる。常磐病院はリハビリが強く、療養病棟を立ち上げることになったこともあって、リハビリ担当医になった。
 その事情について、雑誌に書いている。
 「一応内科、と名乗ってはいますが、胃カメラもできない、心カテもできない、医学博士も持っていない、専門領域のこれといってない、今時珍しい医者です。どういうわけか、訪問診療には、佐久総合病院の研修医のときから縁があってはまってしまい、医者としてのキャリアのほとんどすべてで、訪問診療を続けてきました」
 常磐病院に入ってはみたものの、年に数カ月休みをとって海外で医療行為をすることなど、到底無理だった。システムに組み込まれ、目の前に患者がいれば診療しなければならなかった。いつのまにか5年が過ぎ「そろそろ違う展開を」と思ったところ、「在宅診療している患者はどうする。病院では面 倒みられないから、自分で何とかするように」と言われた。やむを得ず3年の約束で山内クリニックに勤め、在宅診療を専門にしながら、これまでの患者もフォローさせてもらった。
 共立病院には昨年から勤務している。きっかけは常磐病院の民間委譲にともない、リハビリテーション部門が共立に移ることになったからだった。常磐病院時代に5年間苦労をともにしてきたスタッフたちのことが、頭をよぎった。「常磐病院のリハビリ機能が、まったく成り立ちや考え方の違う共立で維持できるのだろうか。このままでは宙に浮いてしまう」と思った。
  できれば自分でリハビリ部門をそっくり買い取るかたちでやりたかったが、無理だった。そこで共立に相談し、リハビリ担当の医師として雇ってもらった。
 そもそもリハビリは整形外科部門との認識が強く、療法士や訓練士はいるが、医師を配置しているところは少ない。共立も回復期リハビリ病棟というかたちにはなっているが、曖昧な部分が結構ある。訪問看護や在宅診療も「在宅診療」の専門医ではなく、担当医が独自に行っている。  皆川さんは「院内の訪問看護をステーション化して世間的に通用するものにしたい」と考えて病院に提案したがうまくいかず、自らNPOの「訪問看護ステーションぱれっと」を立ち上げた。スタッフは看護師3人で、ケアマネジャーを通 して純粋に訪問看護だけを行っている。
 取材をして感じたのは、皆川さんは、あまりに専門化しすぎてしまった医療の隙間を埋めている、ということだった。神経内科がない共立で、リハビリを通 して脳梗塞患者の面倒を見たり、救急との連携をとって患者を受けるなど、手の届きにくいところを補完している、というのが現状だ。
 常磐病院の民営化のあと、皆川さんはよく公的病院の存在意義を考える。結局、常磐病院のリハビリと精神科は、不採算部門ということで共立が引き受けざるを得なかった。民間は採算を重視するから、自然と不採算の部分は公立が担わざるを得なくなる。そのとき、市民はどうすべきなのか。「赤字」を前提に税金を投入して、地域医療のなかで足りないところを守る覚悟があるのか、そこが大事だ、と。
 皆川さんが在野のクリニックから病院に戻った理由、それは、ベッドを持つ病院を背景にした訪問診療のあり方を考えた末での結論だった。まず徹底した回復リハビリと指導で訪問診療が必要ない患者にする。一方で、死を覚悟した人に対する訪問診療を手厚くする。その二本立てを構築したいと思った。それは、終末医療の患者で自宅では不安が大きい人にとって、病院のベッドを用意できるシステムをつくることがいかに必要かを、痛感したからでもあった。
 さまざまな葛藤のなかで、奮闘する皆川さん。いま患者本位の試行錯誤が続いている。







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