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 「いわきの医療が危うい」。そう言われて久しい。市外の病院で治療を受けている人も少なくない。本当にいわきは医師不足なのか。現状を打破し、いわきで安心して医療を受けられるためにはどうすればいいのか。いわきの医師たちや医療現場を取材して、その方策を探る。



 2年前に共立病院を定年退職した後、更新手続きを取らなかったため、正式にはいまは違うが、高橋弘さん(66)は福島県でただ1人の放射線治療専門医。「一生、医者をやるなら、何かおもしろい科に行った方がいい」。そう考えて、放射線科の医師になった。
 放射線科の医師は大きく3分野にわかれる。診断、放射線治療、それに核医学・治療。放射線治療専門医はその3つがすべてできる。いわきにはいま、診断のできる医師は数人いるが、治療や核医学のできる医師は高橋さんしかいない。

 高橋さんは昭和51年、共立病院に赴任した。仙台から共立病院に向かう車がちょうど国道49号の峠まできた時、ついて来てくれた東北大学の医局教授から「2年経ったら戻すから、もの(診療器機など)は買ってもらうなよ」と忠告された。
 ある日、高橋さんは畠山靖夫院長に食事に誘われた。田畑金光市長と助役も同席の食事の席で、「こういう男が来たから、放射線病棟を造りますか」と、畠山院長は語った。「いくらぐらいでやるんですか」。あとで高橋さんが聞くと、畠山院長は「おまえが理想とする放射線病棟を描け」と言った。
 「ものは買ってもらうな」という教授の忠告にもかかわらず、4年後、アイソトープ室、リニアック室、入院施設のある、高橋さんが思う放射線病棟が完成した。放射線は空気、筋肉、脂肪、骨などによって吸収率が違い、それに合わせた線量分布をしなければならない。高橋さんはNECと共同で、線量分布をコンピュータで計算させる放射線治療コンピュータの1号機を開発した。
 放射線治療は、放射線でがん細胞の遺伝子にダメージを与えてがん細胞を壊す治療。それによってがんを治したり、完治はできなくても痛みや症状を緩和させる。
 核医学・治療はごく微量の放射性元素で標識した薬を体内に注射して、その放射性同位元素から出るγ線を利用して臓器の形態や機能を確認し、放射性物質やその物質で標識した薬を投与して、放射性物質から出るβ線で病変を治療する。主に甲状腺がんや甲状腺機能更亢進症に有用という。
 がんは「こうすれば治る」という方程式はない。放射線、手術、抗癌剤、免疫治療、温熱療法など考えられるものを組み合わせ、その患者に合った治療をする。治療に際し、高橋さんが大切にするのは患者とのコミュニケーション。家族の了解を得て、患者自身の気持ちを把握しながら病気や治療の説明をする。
 高橋さん流に言えばムントテラピー。患者と話をしてコミュニケーションをとっていかないと、医療は成り立たない。放射線治療では時にドラマチックなことが起きる。例えば、甲状腺がんが肺まで転移していた18歳の女の子がいた。核医学・治療を受け、その後、結婚し、数十年経ったいまも元気でいる。
 高橋さんは自分が治療した患者の治療成績などをデータベース化し、それを学会などで発表。さらによりよい治療を探った。

 十数年前にはいわき市内の志の同じ医師たちと、ターミナル研究会を発足させた。共立病院の在宅看護の看護師たちと、在宅で療養している患者の家に出かけ診療した。そのころ、いわきはターミナル医療が進んでいる地域だった。しかし診療報酬が低いことなどもあって、徐々にトーンダウンしていった。
 放射線治療器機はどんどん新しいものができている。平成16年、共立の放射線病棟に最新鋭の器機が導入された。頭から腹までCT画像を十数秒で撮影し、撮った画像をコンピュータに転送して病変を解析。それによってリニアック(放射線治療装置)で極力、がん以外の部分を避けて放射線を照射できる。
 翌年、高橋さんは定年退職を迎えた。せっかく最新鋭の器機が入ったのにと、自分が退職した後の放射線科の診療態勢を心配して「大変だからいましょうか」と申し出る高橋さんに、共立病院の事務局は「大丈夫です。院長が医者を連れてきますから」と言った。
 共立病院の放射線科にはある時期まで高橋さんのほかに2人の医師がいた。それが医局からの派遣が1人になり、そしてまったくなくなり、定年前は高橋さん1人で診療していた。高橋さんが退職した後、常勤の放射線科の医師は見つからず、東北大学の医局から週に2日だけ医師が来て、診療をしている。

 福島県内で高橋さんしかできず、県内や水戸、日立などからも患者が来ていた核医学・治療は、高橋さんの退職を機に共立病院ではできなくなった。放射性同位元素を投入した患者に対応できた入院施設のシステムも壊され、たとえ高橋さんが復帰しても核医学・治療をすぐに再開することはできない。
 南会津の甲状腺がんが肺などに転移した患者は、雪の心配がなくなるゴールデンウィーク明けに毎年、治療を受けに来ていた。ひどかった痛みが治療によってなくなり、完治したわけではないが、年1回の治療でがんは抑えられている。高橋さんが共立を退職した後、その患者はかつて共立病院で高橋さんから学んだ山形の医師の病院まで行って、治療を受けている。

 いま、高橋さんは市内のお年寄りの施設で診療している。「治療施設を造るにもその医師の哲学によって違う。医療は看護師などほかのスタッフも感性がなければうまくいかない。感性が高くないと。以前は地域の感性も高かった」。高橋さんは言う。







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