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Katsuhiko hibino in Iwaki 2001
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 京都府舞鶴市に来ている。特殊な町だった。 海上自衛隊第7管区があり、護衛艦など8隻が舞鶴を母港にしている。日立系列の造船所があり、軍艦の修理と商船の造船を行っている。記憶に新しい東京湾で漁船と衝突した「あたご」もここで修理をしていた。
 明治維新とともに、日本の防衛のために海軍が必要だと勝海舟が唱え、軍港に適した場所を日本全国津々浦々調査し選ばれたのが、舞鶴港であった。複雑な入り江は自然の要塞で、水深があるため大型船も接岸できる。京都、大阪にも近く、大陸を対岸に眺める。
 これらのことはこちらに来てから知った。それまでは舞鶴情報は何もなく、日本海に面 しているからきっと魚が旨いのだろう、という程度であった。
 なぜこれほど特殊な場所なのに、その様子が知られていないのだろうかと不思議に思うのだが、戦後の負の遺産的なものがそうさせているのだろう。終戦後、海外の戦地からの引揚者たちが舞鶴港をめざした。港には親族たちが待ちわびる。「岸壁の母」はここが舞台である。
 そんな舞鶴の町が今、動き始めた。赤レンガ倉庫を市が買い受け、ギャラリーとか劇場として機能させている。このような例は横浜や小樽などにあるが、ここには現在進行形の自衛隊が同じく赤レンガのすぐ隣で現役の倉庫として使用している。その特徴を生かしていくことが、舞鶴ならではのものになっていくのだろう。
 自衛隊に対する認識もこの9年で随分と変わってきた。2000年9月11日のNY同時テロ事件以降の世界に対しての役割は、軍隊ではなく自衛隊ならではの働きだった。それが理解されてきているように思う。
 このような時流の中で舞鶴は、防災をベースとした創造活動を行っていくことが出来るのではないかと思う。それってどんなことなんだろうか? と思える時は何かが生まれる時である。
 JRの東舞鶴駅のホームで2日間の自分の行動を追いながら考えた…。で、これから熊本に行くのだけれど、京都行きの列車に乗る違和感…。熊本の細川家はもともと舞鶴あたりの出らしい…。電車がやってきた。またいつか来るような気がする。
(アーティスト)
※紙面に掲載される画像はモノクロになります。




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