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日野原重明さんのこと


 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが亡くなった。105歳、亡くなる数カ月前まで、患者さんを診ていたという。月の回数は減っていたが、新聞の連載も続けていた。
 日野原さんは1911年(明治44)、山口県の牧師の家庭に生まれた。10歳の時、急性腎炎で療養、中学時代は赤面 症を直すために弁論部に入り、京都帝国時代には結核で1年休学し、第二次世界大戦中に医師になり、戦禍の東京で被災者の治療にあたった。
 戦後はいち早く、患者と対等に接する医療に着目するとともに、日本で初めて人間ドックを導入して予防医学の大切さを広く知らせ、ホスピスといった終末医療にも力をつくした。そこには「生まれてきたことは、それだけで素晴らしい」という思いが根底にあった。
  1970年には、乗り合わせた飛行機が「よど号」で、ハイジャック事件に巻き込まれて、残る人生は神さまから与えられたものと、人生観が一変した。95年の地下鉄サリン事件の時は、院長をしていた聖路加国際病院が現場に近く、外来診療を中止して搬送患者を全員受け入れた。
 日野原さんの講演を3度、聞いたことがある。1度目は『生きかた上手』が出版されたころ、2度目は75歳を「新老人」と名づけて研究をしていたころ、そして3度目は震災の1カ月半前、100歳になる年で、10年先(2020年)までのスケジュールが書き込める手帳を使っている、と話していた。
 著書『十歳のきみへ―九十五歳のわたしから』にも書いているように、いのちは時間、と小学校を訪ねて、子どもたちに語っていた。からっぽの器にいのちを注ぐこと、それが生きるということで、時間はほかの人のために使ったとき、1番生きてくる、と。
 そして、毎日の繰り返しのなかで、自分の芯になる部分がつくられていく、変わりばえのしない何でもない毎日も、人生の大きな宝物、とも。歳を重ねても、生きること、積極的に日々を重ねることに前向きだった。

 
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