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子規と漱石

 たまに手にとって、きままに開いた頁を読んで楽しむ新書がある。坪内稔典さんの『俳人漱石』。夏目漱石の2500を超える俳句から百句を選び、漱石と正岡子規、坪内さんがその一句ずつを話題に鼎談しながら、漱石の俳句の世界を旅する。ほんとうに3人が鼎談しているみたいで面 白い。
 子規も漱石も1867年(慶応3)生まれ。ふたりは東京大学予備門予科(のちに第一高等中学校に改称)の同級生で、ほかに南方熊楠や山田美妙などもいる。22歳のころに共通 の趣味の寄席を通じて、親交を深めるようになった。
 そのころ子規は喀血して肺結核と診断され、時鳥の句を数十句作り「子規」と号するようになる。時鳥は「鳴いて血を吐く」と言われ、肺結核の代名詞だった。見舞いに行った漱石はその後、「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」(泣き言をいわないで笑え)と、句を添えた手紙を子規に送ったという。
 漱石自身、長兄と次兄を肺結核で亡くし、当時、3番目の兄も結核で病床にあった。子規の病をきっかけに、ふたりの交流はさらに深まっていった。間もなく漱石は、子規の和漢詩文集『七草集』の巻末の評で初めて「漱石」の号を使った。それは子規が7、8年前に名乗っていた号だった。
 11年後の1900年(明治33)、イギリス留学前に漱石は寺田寅彦とともに、東京・根岸の子規庵を訪ね、子規を見舞った。互いに今生の別 れと覚悟していただろう。2年後、子規は34歳で亡くなった。
 今年はふたりの生誕150年。さまざまな友情のエピソードを探していきたい。

 
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