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スナックママ殺人事件画家の死

スナックママ殺人事件


 昭和60年(1985)の夏ことだ。うだるような暑さが続いていた。小名浜支社に転勤して3年目を迎え、警察担当のおもしろみを感じていた。事件の端ばしから滲み出る人生の悲哀…。ほろ苦い思いを心の奥にしまい込みながら、「サツ回り浸り」の日々を送っていた。

 そんなある日、平で殺人事件が起こった。42歳のスナックママが、店で何者かに首を絞められて殺されたのだ。驚い たことに、殺された女性は、私の行きつけの店の常連で、顔見知りだった。

 「あの山城さんが殺された」――。一瞬耳を疑ったが、カウンターでそれぞれ酒を飲んでいた程度で、素姓も知らない。知っていることといえば、「高級クラブのホステスだったが、独立して店を出した」ことぐらいだった。すぐ、担当記者に連絡し、手伝いを申し出た。さほど酒が飲めない二人が飲屋街に繰り出し、ビールを注文しながら情報を集めた。すると、それまで知らなかったことが、次々と浮かび上がってきた。

 山城さんは、双葉郡出身で中学を卒業するとすぐ、洋装店の縫子さんになった。その後ホステスをするようになり、数ヶ月前にスナックを開いたばかりだった。

 思えば、その店には1回だけ、だれかに連れられて行ったことがあった。店の名前は「そうせき」。夏目漱石から付けたのだという。山城さんは、髪をアップにして渋めの和服を着ており、真っ赤なルージュが古風な色白の顔に映えていた。体は華奢だが妙に存在感があり、細い指でタバコをおしゃれに吸っていた。

 「磐女出身なの」。山城さんは日ごろ、そう言っていたという。文学を愛し、好んでインテリ層と付き合った。そうした日々を過ごしているうちに、「磐城女子高出身」という、愚かで悲しい嘘をつかざるを得なくなってしまったのだろう。そして、殺される原因となったのも、偽りの特権階級意識がもたらした、人を見下すような態度だった。

 事件は8月19日、月曜の夜に起こった。 8時すぎだった。スラリとしたパンチパーマの男が入ってきた。白いサマーセーターに白いズボンを履いたその男は、カウンターの一番奥の席に座った。客はだれもいなかった。男はビールを注文し、山城さんにも勧めると、「私は水割りにするわ。いい?」と言い、水割りでのお相伴が始まった。この日、山城さんは紫地にピンク、白があしらわれた柄物のワンピースを着ていた。

 それから2時間後、山城さんは客として「そうせき」を訪れた同業者によって、見るも無惨な姿で発見された。カウンターの中に仰向けに倒れていた山城さんの着衣は、思わず目を背けてしまうほど乱れていた。
 そして、事件発生から9日目の28日、一人の男が家族に付き添われて、いわき中央署に自首した。青白い顔をうつむかせ「私がやりました」と静かに言った。事件は思っても見なかった解決を見たのだった。

 男は28歳。漁船員で、神田と言った。男ばかり4人兄弟の3番目。父親が漁船員だった関係で、豊間中を卒業するとすぐ、当然のように船に乗った。直情型の性格だったのだろう。20歳前に2度傷害事件を起こして補導されている。
 しかし、「板子一枚下は地獄」と言われる船での生活は神田を大人にし、19歳の時に5歳年上の女性と結婚。すぐ長女と長男が生まれ、平下神谷の新興住宅街に建て売り住宅も購入した。北洋さけますやサンマ船に乗ったときは、中学校時代の女性教師を訪れては、「迷惑をかけました」と言って、塩サケなどを運んでいた。

 事件を起こした日、神田は午後5時ごろから、自宅でウイスキーの水割りを3杯飲んだあと、タクシーを呼んで平の繁華街へ出た。午後7時ごろだったという。次の日の朝にはサンマ船に乗り込むことになっており、飲みたい気分だったのだろう。飲食店で軽くビールを飲み、なじみのスナックへ行こうとした。しかし、その店はあいにく休みで、「そうせき」に行くことになる。神田にとって運命の歯車が狂った瞬間だった。

 「そうせき」に入って1時間もたっただろうか。神田はビールを2本飲み、カラオケを歌った。そして勘定を促すと、山城さんが渡した紙には「9,900円」と書かれていた。

 「ちょっと高すぎる。せいぜい6〜7,000円だろう」。神田が勘定について難癖をつけると、「何言ってんの。こんなもんよ」と山城さんが反論し、口論が始まった。「明細を書いてくれ」。神田の求めに、山城さんがしぶしぶ「ビール2本、水割り7杯、ミネラルウォーター4本、通し、ミカン」と伝票に書くと、神田はそれでも納得せず、ビールをさらに1本追加して飲みながら、言い争いが続いた。

 あまりのしつこさに辟易した山城さんは、「話がわからなければ人を呼ぶわよ」と後ろを向いて電話をかけようとした。その瞬間、神田は「やくざが来る」と思い込み、逆に精神的に追いつめられることになる。電話をかけようとする山城さんを押しとどめようと、カウンター越しに後ろから体を引っ張ろうとしているうちに、カッとなり、気がつくと両手で思いっきり首を絞めていた。

 わけがわからないうちに首を絞めてしまった神田は、ぐったりした山城さんの様子を見てハッとし、手を離した。山城さんはそのままカウンター内に倒れ、こと切れた。神田はその後、変質者の犯行に見せかけるために着衣を乱れさせ、おしぼりで指紋をふき取って逃走する。その際、店の看板を消したうえに、おしぼりを捨てるために、タクシーで常磐まで行き、さらに車を乗り継いで、小名浜経由で神谷まで帰る周到さだった。

 しかし、捜査本部は、当初からキーワードを「カンダ」に置いていた。伝票に山城さんが「カンダ」と書いており、犯行直後から市内の神田姓約90件がしらみ潰しに調べられていた。そうした中で、神田は追いつめられていった。

 犯行の翌日、江名港から船に乗り込んだ神田は、自分の両手を見つめれば見つめるほど、「とんでもないことをしてしまった」という思いにさいなまれた。そうした精神状態の中で、何とか仕事をこなしていたが、27日に宮城県女川港で水揚げ作業をしたあと、体調不良を理由に下船した。家族と連絡を取り、捜査の手が伸びていることを知って観念したのだろう。家族に説得されて、いわきへ戻り自首したのだった。

 事件当夜、神田の財布には3万円入っていた。彼にとって不運だったのは、行きつけの店が休みで「そうせき」に入ってしまったことだろう。さらに「あのとき、おとなしく9,900円を払っておけば」という後悔もあったに違いない。そうすれば、殺人の誘因になったと言われる、山城さんの一言を聞かないで済んだ。

 「ここは、あんたみたいな男が来る店じゃないのよ。まだ難癖つけるならいいわ。人を呼ぶから」

 「あんたみたいな男」。その一言と山城さんの人をこバカにするような侮蔑的な態度が、神田の理性を失わせ、取り返しのつかない犯行に向かわせた。それは、神田にとって、どうしても許せない言葉だった。

 その夏。事件が解決したあとも、山城さんを知っている店に 寄っては、思い出話をすることが続いた。ちょっとした言葉の行き違いが人の心を傷つけ、一瞬のうちに、かけがえのない命を奪ってしまった男と、奪われてしまった女…。その事件の構図が何ともやるせなくてもの悲しく、カウンターの向こうとこちらで、深いため息が次から次と出た。

 そしてビールを飲みながら、思った。「あんな事件に巻き込まれなければ、自分の生い立ちを、『記憶のない海』と呼ばれる太平洋に沈めたままでいられたのに」―と。

 この年、小川中でいじめによって一つの尊い命が失われ、阪神タイガースが日本一に輝いた。そして、12月25日、神田に懲役8年(求刑は10年)の実刑判決が言い渡された。

2001年7月





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