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 茨城県最北の地・平潟。少し歩くといわき市勿来町九面になる。いまから150年前、この県境にある港が、いわきの戊辰戦争で薩摩藩を中心とする新政府軍の拠点になった。

 平潟の戊辰戦争は1868年(慶応4)5月28日朝、旧幕府軍の「長鯨丸」に乗った輪王寺宮が平潟港に降り立ったときから始まる。輪王寺宮は庄屋で浦役人を務める鈴木主水の屋敷で休んだあと、午後2時ごろに出発。その日は泉藩領にある慈眼寺で一泊し、平を経由して6月6日に会津若松に着いた。
 そして20日ほどあとの6月16日、新政府軍が三隻の軍艦でやって来る。薩摩(鹿児島)、大村(長崎)、佐土原(宮崎)の三藩から約700人で、そのなかには使者役の泉藩士2人(江戸詰め)もいた。
 新政府軍は巧妙に上陸して配備についていた仙台藩兵を追い払い、その瞬間から、平潟は新政府軍にとって軍備や兵力を補給するうえで欠くことのできない場所になる。その本営として使ったのは鷹岡八幡神社わきの華蔵院で、一般 の兵士たちはその下の砂浜で野営した。さらに敵の様子を見るための斥候(せっこう)を四方面 に放つと、勿来の切り通しあたりで2人の旧幕府軍らしい藩士と遭遇。打ち合いの末に、本岡堅左衛門(平藩士)が撃ち取られてしまい、それが双方最初の犠牲者になった。もう一人の国府田覚次郎と思われる藩士は、山を越えて逃げ去ったとされている。  そのあと新政府軍は少しずつ進攻し、泉、湯長谷、小名浜、そして平へと向かっていく。

 平潟は東が海、それ以外は山で囲まれていて、あちこちに洞門がある。1670年(寛文10)、河村瑞軒によって拓かれた東廻海運の港の1つで、風待ち港という役割もあった。長く棚倉藩の領地で、平潟と棚倉を結ぶ塩の道の起点としても栄えていたが、幕末には藩主が川越藩に国替えになったこともあって、川越藩領になっていた。川越藩はあっさり新政府側に下り、ここから磐城三藩や相馬藩などを攻めていくことになる。

 なお輪王寺宮が平潟に上陸した様子は五百城文哉の「輪王寺宮平潟上陸の図」に描かれていて、長く鈴木主水屋敷に飾られていた。


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