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 「いわき市役所に渡邉淑夫あり。あそこを通せばなんとかなる」と言われた。その揺るぎない信頼を培ったのは、信義の厚さと情の深さ、そして努力だった。告別 式ではそれを物語るように、遠くから参列した旧友たちが、涙ながらに思い出を語った。心が洗われる弔辞が続いた。
 9歳で父を亡くし、負けん気をバネに助役の地位まで駆け上がった苦労人。家は貧しく、子どものころからリヤカーを引いて野菜を売り歩いた。とても高校に進める経済状況ではなかったが、「淑夫を高校にいがせでやれ」という親戚 の言葉を受け、母が「無理をしても入れる」と決意する。それを知った淑夫さんは授業料を稼ぐために、見ず知らずの農家を訪ねてニワトリを30羽譲ってもらい、卵で返す話をまとめた。
 平商を卒業したあと、地元の民間会社に4年半勤めた。生前、「その経験がとても役に立った」と、よく話していた。それが今回、平長橋町にあった石炭を扱う商社だったことがわかった。仕事ぶりを認められて東京転勤を命じられたが、母をいわきに残しておけずに退職する。その根っこにあったのは「かあちゃんを支えてやるんだぞ」という父の最期の言葉だった。
 苦労してきたせいか、困っている人に頼まれると嫌とはいえなかった。市政を担当していたころ、人事取材でわからないところが1つだけあった。そこが埋まらないと記事にならない。当時収入役だった淑夫さんのところへ行くと、「それを言ってしまうと出所がわかってしまう。無理なんだわ」と渋られた。でも何回か粘り強く通 っていたら、教えてくれた。誠意を持って一生懸命やるものに対しては、温かい人だった。
 46年にわたるいわき市役所生活で影響を受けたのは、初代市長の大和田弥一さんと2代目市長の田畑金光さん、そして助役を務めた橋本渡さんだった。この人たちからは、先見性と確固たる信念がいかに大事かを学び、亡くなるまで交流を続けた。仕事の責任が重くなってきてからは、自ら泥を被って市長を守る、ということが多くなった。ストレスからだろう。助役在任中に不整脈から軽い脳血管障害になって休まざるをえなくなった。そのあと「いつどうなるかわからないので手帳などを焼いたんだよ」と話していた。
 「体調が完全でない。きちんとした仕事ができないから辞める」と任期を二年残して市役所を去ったのが2005年の3月31日。「仕事の邪魔になるといけないから」と午後5時まで仕事をして退職辞令を受け取り、数人の職員から見送りを受けてひっそりと辞した。以来、市役所に足を踏み入れることは1度もなかった。
 清濁を併せ持つ昭和生まれの明治男、淑夫さん。在任中は「陰の市長」と揶揄されたりもしたが、決して人をそらさないから、自然とつきあいが深くなった。スマートな職員ばかりのいま、市役所に淑夫さんがいたら、と思うことが多い。


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