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 大玉村出身で移民としてペルーに渡り、初代マチュピチュ村長を務めた野内与吉さん(1895─1969)の孫の野内セサル良郎さんの講演会が3月12日、平祢宜町のいわきPITで開かれた。セサルさんは「世界遺産に村を創った日本人」と題し、2年前に与吉さんを取りあげた番組「世界ふしぎ発見!」などもスクリーンに映しながら、与吉さんの人生や祖父への思いなどを語った。

 与吉さんは1895年(明治28)、福島県安達郡玉井村(現在の大玉 村)の裕福な農家に生まれ育った。21歳の時、契約移民として横浜港から船に乗り、ペルーに渡った。契約農園で1年ほど働いた後、アメリカやブラジル、ボリビアを放浪して、1923年(大正12)にペルーに戻り、ペルー国鉄クスコ・サンタ・アナ鉄道に勤め、線路の拡大工事などに携わった。
 そのころ、与吉さんは高級な原木が生い茂る周辺のジャングルに目をつけ、マチュピチュを訪れた。アメリカの考古学者のハイラム・ビンガムが廃墟と化したマチュピチュを見つけてから12年が過ぎていた。木材を運ぶために鉄道が通 され、幻の都まで道が開けたころだった。

 世界遺産のマチュピチュは15世紀のインカ帝国時代に、とがった絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山あいの標高2280mの頂上に築かれたまち。インカ帝国がスペイン人に征服されて以来、400年以上にわたって人の目にふれずにきた。
  ふもとにあるマチュピチュ村には、マチュピチュが発見された100年前、4家族の先住民が暮らしていた。主な産業は観光で、80軒ほどのホテルがある。マチュピチュまでは、村から観光バスで険しい山道を通 って30分で着く。

 与吉さんは前向きな人で、何もないマチュピチュ村に山の湧き水から水路を通 し、石や丸太で堰き止めて水力発電して村に電気をもたらし、大木を倒した際に湧き出した温泉を石で囲んで人々が入れるようにした。
 1935年(昭和10)には村で初めてのホテル「ノウチ・ホテル」(木造3階建て)を建て、1階は村の郵便局や交番に無償で提供した。いつも村のことを考え、さまざまなものを造ったので「7つの職を持つ男」と呼ばれた。
 41年(昭和16)、第二次世界大戦が起きると、ペルー政府は日本人移民をアメリカの強制収容所に送るため、与吉さんの元にも憲兵を派遣したが、「ここに日本人はいない」と、村人は身を挺して与吉さんとその家族を守った。村のために尽くし、結婚して家族を持ち、ともに暮らしている与吉さんを、村人たちは見捨てられなかった。
 終戦から2年後、50年に1度という記録的な大雨が降り、土石流が村を襲った。孤立して食べ物にも困った村人に与吉さんは「生きている限り希望はある」と励まし、クスコの新聞社に村の惨状を伝え、支援を訴えた。そして翌年、村の復興のために村長に任命された。
 与吉さんは69年(昭和44)に74歳で亡くなった。その前年、故郷の大玉 村に初めて里帰りした。58年(昭和33)、三笠宮殿下がマチュピチュ遺跡を訪れた際、与吉さんの娘が父のことを殿下に話し、その存在が日本にいる親族に伝えられた。親族たちは10年かけて100万円を集め、そのお金で与吉さんを日本に招いた。

 孫のセサル良郎さんは与吉さんが亡くなって6年後に生まれた。16歳の時に家計を助けるために来日して工場で働いた。当時は日本語を話せず、懸命に勉強して定時制高校に通 った。残業もあって大変だったが、高校卒業後は大学にも進学した。
 大学卒業後は名古屋国際センター地球市民教室講師としてペル―の文化を紹介するとともに、日本ではまったく知られていない祖父の人生、足跡を調べ始めた。その活動がさまざまな新聞などに取りあげられるようになった。
 与吉さんの二番目の妻である祖母は、日曜日ごとにお墓参り行く時、セサル良郎さんに「おじいさんは誠実で勤勉な人だった。おじいさんのことを忘れないように」と、話していたという。それに以前から、マチュピチュに行くと不思議な気持ちになり「祖父も特別 な思いがあったのでは。それを多くの人に伝えたい」と、感じていた。

 2012年、セサル良郎さんは大玉村などの人々とペルーを旅して与吉さんの足跡を辿り、マチュピチュ村長に大玉 村長の親書を手渡た。それが大玉村とマチュピチュ村の友好都市締結への第一歩になった。3年後、大玉 村とマチュピチュ村は友好都市を結んだ。
 マチュピチュ村には、多くのまちから友好都市の申し出があったが、最初に締結する町とは、例えば、歴史的な事柄など両方のまちを結びつけるものがないと、と模索していたという。
 セサル良郎さんは祖父の人生や自身の活動にふれながら「天空の都市を守り、祖父の夢をかなえていきたい」と話した。5月3日には、大玉 村の温泉旅館「金泉閣」に、与吉さんの功績を紹介する「野内与吉資料館」が開館する。




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