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 地区の人たちが「明神さま」と呼ぶ根渡神社にあがると、中之作が一望できる。山を背負って肩を寄せ合うように張りついている家々。江戸から明治にかけて商港だった海辺は弓のように湾曲していて、天然の入り江であることがわかる。

 いまから153年前の1864年(元治元)3月28日、新島襄の乗った帆船が中之作港に着岸した。函館へ行く途中に立ち寄り10日ほど逗留したのだが、そのときの様子を「函楯紀行」として書き残している。時代は龍馬や晋作などが輝いていた幕末で、中之作港は平藩の商港だった。石炭や米の積み出し港、風待ち港として人の出入りが多く、娼家がかなりあった。襄はそんな中之作で「仙台屋」という家に泊まり、港の測量 をした。
 中之作は磯場が多く危険な港として知られていた。船が通行できるのは鶴が羽を広げて沖から来たような形をしているところだけ。「鶴の間」と呼ばれる首の部分が深くなっていて、大きな船の積み降ろしはそこで行われていた。  襄も「この港はとても危険。港の入口をはじめ、いたるところに暗礁 がある。港の東、西、北が岩礁なので、船を停めたとしても強い南風が吹いて船が流されれば、逃げ場がないので座礁 してしまう」と書いている。
 何のための測量だったのか定かではないが、船から紐を海に垂らして海底までの距離を測り、図面 を描いた。その絵図が残っていて、船が通れる場所や暗礁の位置が正確に示されている。そこに理学士・襄の片鱗がうかがえる。

 中之作を散策した日は「つるし雛飾りまつり」が開かれていて、多くの人でにぎわっていた。メイン会場の清航館はかつて、米や塩の卸問屋として栄えた吉田忠右衛門の屋敷があった場所で、まさに「鶴の間」の真ん前。江戸から明治初期までは交流の場として賑わった。そんななかに、上州(現在の群馬県)安中藩の江戸屋敷で生まれ育ち、のちに同志社大を興した21歳の襄がいた。
 気がかりなことが1つあった。襄が宿泊した「仙台屋」という家。襄の日記には宿ではなくて家とある。中之作には確かに「仙台屋」と呼ばれている家はある。でも旅館や娼家があった場所からは離れている。思い切って訪ねてみることにした。
 玄関に立ってブザーを鳴らすと、おばあさんが出てきた。震災のあと脳梗塞を患い、体が不自由なのだという。そして「確かにうちは仙台屋ですが、そもそもは和菓子屋で、石巻出身の義父が名乗った屋号です」と教えてくれた。その後ご主人が木工屋を始めたけれど亡くなったので、おばあさんが建具屋にして、「仙台屋」を引き継いできた。でもいまは、何もやっていないのだという。
 時代が合わないので、おそらく仙台屋違いなのだろう。襄に関する宿題が1つ残った。

 




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