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 合併の前、磐城市役所の職員だったわたしは、総務課長心得を命ぜられて、県の合併事務局(現在の県いわき合同庁舎)に派遣されていました。新産都市合併協議会がつくられ、その事務局に14市町村から市は2人、町村は1人ずつ職員が集められたのです。
 事務局長は石城地方市町村会の事務局長だった橋本勲さん。石城地方市町村会は前からあって、各市町村がお金を出し合って共立病院を造り、決裁文書の印刷など市町村の事務の応援をしていました。
 わたしはそこで財政班長となり、各市町村の五年間の予算・決算書を分析し、財政状況を調べました。ほかに行政、文教厚生など5班にわけ、新市になってつまずかないように、事務的なことをしました。
 事務局でさまざまな案を作って市町村長と議長が所属する役員会にかけ、さらに議員なども交えて平の公会堂で全体会を開きました。そして各班長が説明をして同意を得るのですが、2年間に何十回開いたかわかりません。
 大きな問題になったのは市の名前や庁舎の位置、職員の扱いでした。なかなか決まらず、4月に合併するはずが半年ずれ込みました。市の名前も庁舎の位 置も、平は平、磐城は磐城と、各市がそれぞれ自分のところを出してきて一歩も譲りませんでした。
 財政班の班長のわたしが一番心配したのは、たくさんあった継続事業です。合併するならあれを造ってしまおうなど、駆け込みでの公共事業が目立ちましたし、借金があった所もありましたし、容易ではありませんでした。
 合併しての初めての市長選は面白かったです。平市長だった大和田弥一さんと、磐城市長だった三代義勝さんとの一騎打ちでした。これこそ勝つか負けるかの戦国時代の関ヶ原で、各市もどっちにつこうかと、北部と南部の南北戦争でもありました。まんなかの内郷と常磐がどっちにつくか。結局、平の大和田さんが勝ちました。
 わたしは三代さんの片棒を担ぎましたが、終わったら、うらみつらみはありませんでした。選挙から3、4日過ぎて、大和田さんの秘書をしていた渡辺淑夫くんから電話があって「大和田が三代さんにあいさつに行きたいのですが」と言うのです。
 ところが三代さんは「会わない」の一点張りで、大和田さんは三代さんの奥さんにあいさつして行きました。大和田さんは立派でした。
 いわき市の庁舎は旧平商業高校の校舎を使いました。そして議会は333人の議員がいましたから、経過措置として平市民会館で開きました。大ホールの椅子にテーブルを載せて、そのうしろの椅子に議員が座るという形をとったのです。
 合併措置で14市町村の議員がすべて、2年間、いわき市の議員になりました。市長や町村長には参与をつけて、給料を渡しました。初代いわき市長が決まるまでは、赤津庄兵衛さんが職務執行者に就いていました。
 あのころ、まちを大きくしてみんなでよくなろう、と考えていましたが、誕生から50年になるいま、まちから遠い地域は切り捨てられている気がします。それに地域根性と言うか、まだ一体化していないようにも思います。




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